第12回 乗鞍スカイラインサイクルヒルクライム
(2015/07/11〜12) C
【レース展開U、夫婦松〜ゴール】
6kmポスト(10.4km地点、標高2125m) |
08:49:27.00 【地図表示】 |
レース後半に入っても、米田 彰選手(309、E1、コラッジョ カワニシ サイクリング チーム)、石原 悠希選手(440、E2、栃木県立真岡工業高等学校自転車競技部)の両者の戦いに変化はありません。
6kmポスト(10.4km地点)を過ぎると、少しずつ空が広くなり、だいぶ標高が高くなってきたことがわかります。加賀の白山をバックに走ります。
7.8kmポスト(12.2km地点、標高2260m)ピースサイン |
08:56:04.65 【地図表示】 |
全く気負いがないのか?カメラを向けると、再びピースサインの石原選手。
雲上のヒルクライム 9kmポスト(13.4km地点、標高2430m) |
一気に山岳風景に |
09:03:16.77 【地図表示】 |
森林限界を超えて、周囲は一気に山岳風景に...まさに雲上のヒルクライムです。
後ろをチェックするものの、後方の選手は遥か彼方にあり、どの選手なのか判別できないほど離れていています。この展開で進めば、米田選手はE1優勝、石原選手はE2優勝は確定で、あとはどちらが総合優勝になるかという点に絞られ、表情にも余裕がみられます。
お互いを先に行かせるように話しているのか、声を掛け合う場面もありました。ただペースが落ちる様子はみられません。
乗鞍スカイラインの中で「最も乗鞍スカイラインらしい」風景の一つに四ッ岳カーブがあります。
乗鞍スカイラインの前身は、戦前に陸軍の航空機エンジンの高所テストを行うために昭和16年に建設された軍用道路で、終戦を迎えて昭和23年には県道に編入され(県道乗鞍公園線)、昭和24年には登山バス運行が始まりました。これにより、それまでアルピニストしか目にすることしかできなかった3000メートル級の景色を手軽に楽しめるようになりました。
全長の80%が中部山岳国立公園にあって、その沿線にはハイマツ帯やお花畑が続き、北アルプスの眺望は素晴らしく、雲上のご来光は圧巻で、年々利用者が増加しました。急峻で狭いガタガタ道ではピーク時に交通規制を余儀なくされ、その交通緩和措置として、全線2車線舗装路の乗鞍スカイラインが昭和48年に完成しました。なお、乗鞍スカイラインという名称で呼ばれていますが、正式には昭和23年に県道に編入された当時と同じく「県道乗鞍公園線」で、そのうち、平湯峠から畳平の区間を乗鞍スカイラインと称しています。(参考:岐阜県道路公社 37年のあゆみ 他)
標高が上がるにつれて空気は薄くなり、平地の3分の2程度しか気圧がありません。二人の呼吸も荒く、全身で呼吸する様子はまるで蒸気機関車の息づかいです。昨年より35秒程度早い通過です。
四ッ岳から土俵ヶ原を抜けると目の前には三角形の山は烏帽子岳。道路の間近には残雪が見られ、5月15日の開通時には、バスの背丈以上の雪の回廊が続いていました。
今回参加した多くの選手が言っていましたが、どこを撮っても絵になる風景。遠景の山並みが水墨画のように織りなす風景は夏を通り過ぎて、空気が澄み渡る秋空を感じさせるものです。
さらに登ると前方にはハイマツの絨毯が広がる桔梗ヶ原に到達します。ここからゴールまではヒルクライムからスプリントレースにギヤを入れ替えます。
抜きつ抜かれつの展開。そんな様子を背後から穂高の山並みたちが見守っています。
ゴールまではあと1km足らず。まだまだ、どのような展開となるかわかりません。
青・緑・白 − 夏のノリクラの三原色 |
快晴の青空、ハイマツの緑、残雪の白、これぞ夏のノリクラの三原色。ゴールは間もなくです。
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