ノリクラ 雪渓カレンダー

Vol.17(2016/09/03〜04) B 

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(Update:2016/09/08)

 

【大雪渓に到着】

山麓から湧き上がる雲 ヒルクライムの下りは相当寒い

大雪渓付近はご覧のように山麓から湧き上がる雲が周期的にかかる状態。気温は16℃でひんやりとした感覚があります。ヒルクライムも登りは良くても下りは相当寒い状態です。

 

今日はご来光バスで

シャトルバス下り便を待つ常連スキーヤー。ちょっと早めの下山ですが、お話をお聞きすると、今日はご来光バスでお越しになり、朝からずーっと滑走されていた模様。今日の日の出は雲間から一瞬ですがなんとか見ることができたようです。

「(雪渓が)あまりの小ささにびっくり今年はもうこれで最後かなぁ〜」
多くの常連スキーヤーは例年なら10月の体育の日あたりまでは何とか通い続けるところですが、今年は9月いっぱいすら厳しい状況。次のページの【雪渓上部】で過去との面積の比較を示しますので、ご覧頂ければわかりますが、面積的には例年の4分の1程度、縦横の長さは半分以下しかありません。

 

雪渓をバックに 雪渓、小っちゃい!

大雪渓入口で足を止めて山頂・大雪渓を眺めるヒルクライマー。こちらの方々もこれまで見たことのない雪渓の小ささにびっくり。

 

明日は乗鞍スカイラインを

今日は100名近い方々が参加する競技会が催されているようで、9月とは思えない入山台数でした。「明日は乗鞍スカイラインから登ってくる予定なんです。」とのこと。目標タイムを目指して一生懸命走る方もいらっしゃれば、おしゃべりしながら・休みながらゆっくり登る方もいらっしゃり、楽しみ方は千差万別です。

 

ツギノワグマクマの糞 − 頻繁に出没している証拠

大雪渓駐車場に、またクマの落とし物...今年は目撃・遭遇案件は多くありませんが、出没していることは間違いありません。ですから、かなりの確率でニアミスしているものと思われます。山麓でどんぐりが成熟するまでは、高山帯で頻繁に出没しますので、十分注意が必要です。

 

【雪渓下部】

大雪渓入口 雪渓下部の積雪は7月最終週になくなる
=これだけ早いのは2000年以降初めてのこと=

それではここからは雪渓の様子をお伝えします。こちらは車道沿いの雪渓下部ですが雪はありません。今年は7月最終週(第5週)に雪解けが完了しました。2015年は9月第3週、2014年は9月第2週、、2013年10月第1週、2012年・2011年・2010年は9月第2週、2009年は9月第1週に雪解けが完了しました。2004年・2005年は2年連続して雪解けが早かったですが、それでも、8月第2週・8月第3週で、7月中に完了するのは2000年以降初めてのことです。

 

【長野県安全登山条例について】
大雪渓入口に新たな看板が設置 【画像拡大:7月より登山届が義務化されました】

大雪渓入口に設置された「肩の小屋口登山口」の看板は、7月からは登山届の提出が義務化されたことを案内する内容が記されています。登山届義務化の概要については、 お知らせ−7月1日より長野県側登山道は登山届が必要です(長野県安全登山条例、指定登山道)(2016/04/13)。をご覧ください。

長野県は、「長野県安全登山条例」を昨年12月17日に公布・施行し、登山計画書の提出を義務付ける「指定登山道」を4月11日に決定し、昨日7月1日から登山計画書の提出を義務化しました。

条例の中では、遭難の発生のおそれが高いと認められる167の山岳と、1の景勝地を「指定山岳」として定め、指定山岳の山頂及び景勝地に至る主な登山道の起点となる122の登山口を「指定登山口」として定めます。その中で指定登山口から指定山岳の山頂及び景勝地までの区間にある登山道を「指定登山道」として定めます。

ノリクラにおいては、指定登山岳「乗鞍岳(朝日岳、摩利支天岳)」、指定登山口に「鈴蘭橋登山口、肩の小屋登山口」が指定され、指定の登山道の一部でも利用する場合は、登山届の提出が必要です。また、大雪渓でのスキー・ボードは、肩の小屋口登山道を利用しているものと解釈され、登山届の提出が必要です。

【ご注意:実際の登山道入口は大雪渓入口から車道を北へ50m先にあります】

ご注意:実際の登山道入口は車道を北へ50m先にあります

実際の肩の小屋口登山口

おそらく、この看板は設置場所の問題からここに建てられたものと思われますが、肩の小屋口登山口は大雪渓入口とは異なり、この画像より車道を北へ50メートルのところにあります。

 

大雪渓入口 もう色付きが始まる
2009年以降、初めての速さ

こちらは大雪渓入口のウラジロナナカマド。ご覧のように色づき始めました。こちらのウラジロナナカマドは大雪渓での見頃が始まる例年9月中下旬に色づき始めます。このように9月第1週に色づき始めたのは、過去10年間で2009年だけです。

ちなみに2009年という年は、過去に例を見ないほど見事な紅葉を迎えた年で、見頃は9月26日頃でした。

 

石碑の岩

こちらは石碑の岩。

チングルマにはもう変化がありません

いつもお伝えしているチングルマにはもう変化がありません。これまではほかのチングルマに先駆けて開花したり結実してきましたが、紅葉に関してはほかのチングルマのほうが先に始まっている模様です。

アサヒゴールド− 国内初の缶ビール
(1958〜1965年)
飲み口は缶切りで開ける初期のもの

さて、先週は大雪渓に落ちていたキリンの古い缶ビールをお伝えしました。「キリン」があるならば「アサヒ」もあるわけで、今回はアサヒの空缶を紹介します。

1958年(昭和33年)、アサヒが日本で初めて缶ビールを発売しました(アサヒゴールド(缶))。飲み口は専用の缶切りで三角形に二穴をあけるタイプで、上蓋部分もスチール製です。缶切りで穴をあけるわずらわしさと、タイミングよく開けないとこぼれ出すため、その後、キリン・アサヒ各社は1965年(昭和40年)にプルトップ方式に切り替えました。

ですから、今回ご紹介するアサヒの缶は、先週お伝えしたキリンのプルトップ方式よりもさらに古く、1958年〜1965年の間に発売されたものであることがわかります。現在は缶ビールが全体の約4割を占め(※1)、缶ビールが当たり前ですが、当時は瓶ビールが主流で缶ビールのシェアは全体の数パーセントにすぎなかったということから(※2)、この空缶がここに残っていることが貴重な状態かもしれません。確かに瓶ビールの残骸が大雪渓内であちこちで見られ、重たく不便な瓶ビールをわざわざ大雪渓まで運んだこと自体が現在の感覚からすれば不思議なことでも、当時の普及状況からみれば、瓶ビールを持ってくることはごく普通なことだったのでしょう。ちなみに県道乗鞍岳線の開通は1963年(昭和38年)です。

【参考】 ※1 ビール酒造組合 ビール市場動向レポート    ※2 日経スタイル 日本の缶ビール、苦闘の戦国史

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